父の会社で一人前の職人として汗を流していた6年目、突然の試練が襲いかかった。
営業兼社長として会社を引っ張っていた父が、病に倒れたのだ。
病床の父を訪ねてきたのは、当時契約していた中堅生命保険会社の担当者だった。
「お宅、今人募集してないの?」
「募集してますよ」
「じゃあ、お前もこの仕事を辞めて、ウチの保険会社で働け」
父の勧めもあり、私は7年働いた工務店を去り、保険という未知の世界へ飛び込むことを決意した。
■ 一歩ずつ上り詰めた保険営業の道
生保マンとしてのスタートは、決して華やかなものではなかった。
1年目の給料は15万円。そこから愚直に努力を重ね、2年目は18万円、3年目は21万円ちょっと、そして4年目には基本給25万円+歩合給がもらえるまでに成長していた。
そんな折、転機が訪れる。
損害保険の代理店を経営する、ある社長から声がかかったのだ。
「ウチに来ないか? 28万円出してやるよ」
当時、私にはちょうど子供が生まれるタイミングだった。妻もしばらく仕事を休むことになる。
「25万円+歩合」という不確定な収入よりも、「28万円確定」のほうが家族を安心して養える。さらに生命保険だけでなく、火災保険や自動車保険といった損害保険も扱えるようになるのは、プロとしての幅も広がる。
私は迷わず移籍を決意した。
前の会社に「3ヶ月後の5月から別のところに移ります」と筋を通し、晴れて新しい職場へと向かった。
■ 初出社日に告げられた、悪夢のような一言
5月、期待胸を膨らませて出社した初日。
その社長の口から飛び出したのは、耳を疑うような言葉だった。
「ごめん、君の給料は17万5千円ね」
……は? 一瞬、頭が真っ白になった。
話を聞くと、28万円出すために使う予定だった損保会社の支援制度(システム)は、「前年に入社した社員に使っており、2年連続では使えない」という、開いた口が塞がらない言い訳だった。
社長が制度の仕組みも理解しないまま安易に約束し、勝手に失敗したのだ。
28万円と約束して引き抜いておいて、蓋を開けてみれば『総支給17万5千円』。
そこから社会保険や税金で約2万5千円が引かれ、手取りはたったの15万円。
「ふざけるな!!!!」
怒りで体が震えた。血の気が引くと同時に、激しい怒りがこみ上げてきた。
これから子供が生まれ、一番お金がかかる大切な時期だ。前の会社に残っていれば25万円以上確定していたのに、無責任な嘘に騙されて手取り15万円に叩き落とされたのだ。
人として、経営者として、これほど信用できない奴がいるだろうか。
■ 泥水をすすり、プライドを捨てて駆け抜けた夜
怒り狂いそうだったが、泣き寝入りしている暇はなかった。守るべき家族がいる。
「こんな奴に頼ってたまるか。自分の力で早く給料を上げてやる」
私は提示された「歩合給(会社の収入の8割が自分に入る仕組み)」を使い、泥臭く働き始めた。しかし、成果が出るまでのタイムラグはどうしても発生する。手取り15万円では、どうあがいても生活が成り立たない。
私はプライドを捨てた。
昼間は保険営業として頭を下げ、夜は建築の現場や居酒屋の深夜バイトに飛び込んだ。
体がちぎれそうなほど働く日々。かつて工務店で残業300時間を耐え抜いたあの身体と「折れない心」だけが、私を支えていた。
「絶対に、このどん底から裏切った奴らを見返してやる」
激怒をエネルギーに変え、私はダブルワークで食いつなぎながら、損害保険の知識と顧客を必死で開拓していった。
こうして、2年ちょっとが過ぎる頃にはなんとか給料20万円を超え、3年、4年と経つ頃には月30万円を超えられるようになった。
しかし、この悪夢のような会社での理不尽は、まだほんの「序章」に過ぎなかったのだ。
■ 次回予告:第3話【闇・パワハラ編】
なんとか這い上がった私をあざ笑うかのように、会社は突然「歩合カット」を突きつけてくる。さらに、社長の容赦ないパワハラで次々と倒れていく同僚たち。そんな地獄のような環境の中に、あの「ボンボン息子」がのうのうと現れた——。

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