深夜のバイトと昼間の営業に明け暮れ、なんとか月給30万円を超えられるようになった頃
ようやく生活が落ち着くかと思われた矢先、社長から非情な通達が下された。
「ちょっと会社の経費が大変だから、歩合を8割から7割に落とすわ」
成果を出せば出すほど、一方的に手数料を跳ね上げられる(歩合カット)。
「また給料が減るのか……」
怒りと虚しさがこみ上げたが、文句を言っても何も変わらない。私は歯を食いしばり、さらに件数を稼いでカバーするしかなかった。
しかし、この会社で蝕まれていたのは、私の給料だけではなかった。
■「親族を入れると組織が腐る」そう語っていた社長の変貌
私がこの代理店に入社して何年か経った頃、社長は親子で経営している他の代理店を引き合いに出し、ドヤ顔でこんなことを言っていた。
「〇〇君、なぜ俺が親族をこの代理店に入れないか分かるか? 親族が入ると、その組織が腐るからだ」
さも「自分は組織の健全さを考えている経営者だ」と言わんばかりの口ぶりだった。
しかし、それから10年、15年という歳月が流れた頃——。
社長の実の息子が、前に勤めていた会社を辞めた。すると社長は、かつて自分で誇らしげに語っていた言葉など綺麗さっぱり忘れたかのように、その息子を自分の会社へ引き取ったのだ。
かつて語った経営哲学などどこへやら。結局、一番腐っていたのは組織ではなく、言っていることとやっていることが真逆の社長本人だった。
■パワハラ地獄と、時代遅れの「自称・子育て成功者」
この会社の本質は、激しい「パワーハラスメント」だった。
社長の機嫌一つで怒号が飛び交い、理不尽な叱責が日常茶飯事で行われていた。
さらに社長は、事あるごとに「自分は子育ての成功者だ」と言わんばかりの態度で、時代遅れでくだらない独自の子育て論を語り散らかしていた。「親はこうやって子育てするんだぞ」と上から目線で語る社長の言葉は、あまりにも時代とズレていて「何言っちゃってんだ、この人は…全然分かってないな」と呆れるばかりだった。
当時の事務員さんと顔を見合わせ、「昔と今では時代が違うのに、本当にくだらないこと話してますよね…」と冷ややかに話していたのを今でも覚えている。
■「こんな理不尽なことってありますか……?」
社長の理不尽なパワハラに耐えかねた同僚が、私と二人きりになった時に涙を流しながら訴えてきたことがあった。彼は私より年上だったが後輩にあたり、毎日繰り返される暴言にすっかり心を痛めていた。
「世の中に、こんな理不尽なことを毎日のように言われることってあるんですか…?」と。
私は彼にこう声をかけた。
「わけのわからないこと喋ってるなと思って、全部聞き流した方がいいですよ。大丈夫です。あなたがうちに入ってくる前は、僕もずっと同じようなことを言われてましたけど、聞いてるようで聞いてなかったですから。こっちの耳から入って、あっちの耳へ聞き流してましたから」
私には工務店時代、父から愛のある猛特訓を受けて鍛え上げられたメンタルがあった。だからこそ「理不尽な戯言は受け流せばいい」と切り替えることができたのだ。
だが、普通の感覚を持った人間にとっては、とても耐えられるような環境ではなかった。
追い詰められた仲間たちは、次々と泣く泣く会社を去っていった。
そして、最も悲惨だったのが、ある元同僚の死だった。
社長からの猛烈なパワハラに晒され続けた彼は心身を破壊され、会社を辞めた後に原発不明癌を患ってこの世を去ってしまったのだった。
■ 葬式にも現れない社長。お葬式で知ったご遺族の痛切な怒り
あまりにも悲しい報せを受け、私は彼の葬儀に参列した。
だが、そこに追い詰めて退職に追いやった張本人である社長の姿はなかった。自分が苦しめた元従業員の最期にすら顔を出さない。
以前、社長は私にこんなことを言っていた。
「〇〇君、俺さ、新聞とるのやめたんだ。おくやみ欄見ると、お客さんが亡くなってた時に香典出さなきゃダメじゃないか」
要するに、「訃報を知ってしまうと、香典代がかかって勿体ないから」という信じがたい理由で新聞をやめていたのだ。
お世話になったお客様への義理も人情も、すべて「金が勿体ない」で切り捨てる男。元従業員の最期にすら現れなかったのも、納得の冷酷さとケチっぷりだった。
式の中で、故人が歩んできた生涯の歩みが語られる時間があった。
どこで生まれ、どう生きてきたか——。
しかし、その経歴の中で、彼がこの代理店で勤めていた数年間だけがすっぽりと消されていた。
遺族にとって、この代理店での日々は「思い出す術もない悪夢」であり、大切な家族の命を奪った忌むべき場所だったのだろう。歴史から消し去りたいほどの憎しみと無念が伝わってきて、私は胸が締め付けられる思いだった。
一人の人間の人生を壊し、命まで奪っておきながら、最後の見送りすらケチって放棄する社長。
この会社の闇は、底が知れなかった。
■のうのうと現れた「甘々のボンボン息子」
そんな地獄のような惨状の中、前の会社を辞めてのうのうと入社してきたのが、社長の息子だった。
どれほどの立派な人間が来るのかと思えば、現れたのは救いようのない甘々のボンボン息子。
「どこでどういう教育をしたら、こんな人間になるんだ…?」と開いた口が塞がらないような男で、「子育ての成功者」を気取って能書きを垂れていた社長が、一体何を教えてきたのかと呆れ果てるばかりだった。
あんなに他人の社員には激しいパワハラを浴びせていたくせに、実の息子には全く何も言えない。猫なで声で可愛がる始末だった。
さらに失笑モノだったのは、ある日、社長が自慢気に私に言ってきた言葉だ。
「お客様から『息子さんが入ってくれて本当に良かったですね』って言われたんだよ!」
嬉しそうに話す社長を見て、私は心の中で呆れ果てていた。
(バカたれか。目の前で『息子さん入ってダメですね』なんて言う客がどこにいるんだよ…)
お世辞や営業トークすら真に受け、浮かれている社長。
苦労を知らずに育ったボンボン息子は、人を舐めきった口調と態度で、他人がどれほど傷つくかも想像できない救いようのない男だった。
過酷な現場で必死に耐え、亡くなっていった同僚たちの汗と涙。
それらを一切知らん顔で、会社を私物化し始めた経営者親子。
この親子の存在が、のちに私をさらなる「激怒」と「決断」へと追いやることになる。
■ 次回予告:第4話【身内びいきの格差と搾取編】
子どもが生まれ妻も働けず、私が手取り15万円で苦しい生活に耐えていた裏で、結婚したボンボン息子には「生活があるからかわいそうだ」と当然のように渡される25万〜30万円の手取り給与。さらに年間500万円の売上を伸ばした私の昇給は、まさかの「月1000円」!? 身内の身勝手な優遇のために搾取され続けた、驚愕のからくりとは。

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